前回に続いて相楽園。
船屋形と旧ハッサム住宅の紹介になります。
相楽園の敷地の中に池泉回遊式の日本庭園があって、
中央に池があって、その周りをぐるりと廻るようになっている。
池を大海に見立てて、
池にそそぐ幾筋かの水の流れを川に見立てている。
起伏に富む小径を回遊すれば、
時空を超えて縦横に三千世界を行き来する、
いにしえの神々の如き境地に至るほどの悟りを得ることは叶わなかったが、
それでもこの庭園が世界の縮景なのだと聞かされれば、
雲の上の欄干越しに外界を見下ろし、
二度と地上に帰れなくなってしまって途方に暮れる、
天狗から羽団扇を騙し盗った男の哀れさについて、
床几にでも腰掛けて、
しばし考えてみたく、
なったりもする。
冒頭の写真は船屋形。
池にせり出した陸地に置いてある。
わたしが行ったのは4月20日で、
なんと運のいいことか、
この日は船屋形の説明会が行われていた。
内部には立ち入ることは出来ないが、
船屋形の間近で学芸員の説明を聴くのは貴重な体験だ。
お蔭で屋形船のことを深く知ることが出来た。
学芸員の方に感謝します。
説明会はこの日だけとのこと。
本当に貴重な体験だった。
なお内部公開はまた別の日に予定されていて、
事前申し込みが必要とのことだった。
江戸時代に姫路藩主が河川での遊覧用に使っていた川御座船の、
居室にあたる屋形部分を船から切り離して保存したもの。
船屋形内外の木部はすべて漆塗りで、
木肌の見える春慶塗(しゅんけいぬり)と重厚な黒漆塗(くろうるしぬり)とに塗り分けられている。
わかりにくい写真しかなくて申し訳ないが、
窓の建具部分が黒漆塗。
他の部分が春慶塗になっている。
金箔を施した錺金具には九本骨御所車紋が打たれている。
学芸員の説明によると、
この九本骨御所車紋は前に打たれていた別の家紋を打ち直ししており、
よく見ると前の家紋が薄っすらと残っているのだそうだ。
わたしは確認することは出来なかったが、
前の家紋は丸に本の字紋なのだそうだ。
このことから九本骨御所車紋の榊原家が姫路藩主となる前の、
丸に本の字紋の本多家が藩主の時に建造されたとわかる。
宝永元年(1704)の間が建造年代と推定される。
学芸員(初めての説明役だと言っていた)の説明の時に、二種類の漆塗りの違いについて質問した。
質問したのはわたしだけだったので、
こいつには説明のしがいがある、とでも思ったのか、
見学者の後ろで控えていた別のベテランと思しき学芸員の方が、
あとでわたしを捕まえて熱心に補足説明をしてくれた。
話は保存、修復のことから、予算のことにまで及んだ。
色々勉強ができて有意義な見学だった。
次は旧ハッサム住宅。
玄関先にレンガの煙突が置いてある。
阪神淡路大震災の時に屋根から落ちたのを、前庭に保存してある。
両脇にはガス灯があって、明治7年頃、外国人居留地に建てられたものなのだそうだ。
この旧ハッサム住宅は英国人貿易商のハッサム氏が北野町の異人館街に建てたもので、
神戸市が寄贈を受けて、昭和38年に移築された。
ところで、昔は確かハッサム邸と言っていたような記憶があるのだが、
パンフレットの説明文には旧ハッサム住宅となっている。
なにか事情でもあるのだろうか。
内部公開期間の初日だった。
カウチポテトというが、
このように肘掛けが片方だけにあって、
足を伸ばして横たわれるようになったものがカウチと言うらしい。
背もたれ部分にクッションがないところを見ると、
どうやらカウチとは横になること前提のようだ。
浴室の給湯器だと思う。
あまりの巨大さに負けて一枚撮ってしまった。
相楽園の日本庭園の記事はこちら。