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ぶらり 街中 撮り歩く 神戸事件 滝善三郎顕彰碑

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以前に兵庫大仏を見に行った。
能福寺という寺にあって、
三大仏に数えられるだけあって、
その威容は堂々としたものだった。

 

 

 

その能福寺に、
慶応四年、神戸事件の責任を取って切腹した、
備前藩士、滝善三郎の墓がある。

 

 

 


墓と言っていいのかどうか、
立て札には顕彰碑となっている。
以前来た時は鐘楼堂が再建工事中で、
ちょうどその横にある滝善三郎の顕彰碑を間近でお参りできなかった。
今回それを果たしたので、
ブログに残しておきたい。

 

 

 


神戸事件については、
それほど詳しくはないが以前のページを参考に。

以前の記事。eureka-001.hatenablog.com

 

 

 

 

立派な鐘楼堂ができている。
左隣が滝善三郎の顕彰碑。

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開国間もない明治新政府としては、
列強との紛争は避けたい。
付け入る隙を与えるわけには行かない。
責任者の処罰をもって一応の解決を見た。

 

 

 


滝善三郎は、
すべての責任を負って切腹したことで、
日本の将来の礎の一つとなった。

 

 

 


滝善三郎、辞世の句。

きのう見し 夢は今さらひきかえて
神戸のうらに 名おや あげなむ