白い一日 小椋佳
いいうたです。
スローなテンポでしみじみ聴きたい。
小椋佳の「白い一日」。
「残された憧憬 ~落書~」というアルバムに収録されている。
作詞が小椋佳で、作曲は井上陽水。
両人が歌ってますが、
どうも始めあたりでメロディーが違っている。
歌詞も両者で違う箇所がある。
お互い自分の主張のせめぎあいの結果なのだろうか。
歌う人が違えば多少の違いがあるのは別に構わない。
聴いてなにがしかの感動があれば。
この腕を さしのべて
その肩を 抱きしめて
ありふれた 幸せに
落ち込めれば いいのだけれど
今日も一日が 過ぎてゆく
歌詞の違いは上の引用した部分の4行目。
小椋佳バージョンは「落ち込めれば」と歌っている。
陽水バージョンでは「もちこめれば」となっている。
日本語的には「落ち込めれば」はおかしい気がする。
そんな表現はないと思う。
しかしそれを言い出すときりがなくなって収拾がつかなくなる。
瞼は閉じられても瞳は閉じられないとか言ったって野暮というもの。
国語的解釈はここでは置いといて、
歌の歌詞としてみた場合、
「落ち込めれば」と「もちこめれば」では、
どう違うのだろうか。
前者は運命に身を委ねたうえでの願望だろう。
どんな結果になろうとも受け入れる覚悟を持ったうえでの淡い望み。
そして「君」とともに「ありふれた幸せ」に落ちることをささやかに願う。
後者は、策を弄して「君」を獲得することを主眼に考えており、
運命に対する敬意のようなものがないような気がする。
どちらかといえば強引で狡猾な印象だ。
言い換えれば前者は意志薄弱で優柔不断、
「君」の考えを尊重する。
後者は積極的で自己中心型、
「君」の気持ちはどうでもいい。
とは言えないだろうか。
後者には「君」とともに落ちようという発想がないのだろう。
小椋佳バージョンと陽水バージョンを聞き比べてみてください。
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